運と感性とひらめきでやってきた。

なんとなく20年、女社長の振返り日記。1999年に会社設立して、いま思うこと。

2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

7年間の共同経営 50(退職までの日々4)

*前回からのつづき 置手紙は、かなりのインパクトだったみたい。私が出張先から電話を入れると、地蔵男子くんが出た。いつものように淡々と業務報告をして切ろうとすると、「ちょっと電話代わるよ」と。 手紙を見た地蔵男子くんがジャイアンたちに連絡をした…

7年間の共同経営 49(退職までの日々3)

*前回からのつづき当時60歳のイケイケな母。祖父は「女性は女性らしく」という明治の男性だった。本当はバリバリ働きたかった母は、その道を断念し家庭を守ってきたが、私が会社を設立することになり、その気持ちが蘇ってきたようだ。もともと司法書士の祖父…

7年間の共同経営 48(退職までの日々2)

*前回からのつづき 週明け、女王様とオフィスで二人だけになるタイミングがあって話しをすることになった。 「7年も一緒にやってきたのに、何でなの?次のプロジェクトも決まって、仕事もうまくいってるし、何が不満なの?最近、私とあまり話してくれないと…

7年間の共同経営 47(退職までの日々)

*前回からのつづき そんなこんなうちに、H部長のプロジェクトも佳境に入っていた。 全国でイベントがあり、出張の日々だったから体はしんどかったけど、気持ちはすごく楽で仕事も楽しかった。 プロジェクトも終わりに近いづいていた頃、ジャイアンがH部長に…

7年間の共同経営 46(ダイビング&Sりんとの出会い)

*前回からのつづき Yは、その後も色々な人を紹介してくれた。今度はベンチャー企業を立ち上げた同世代のS社長。 「これから伸びそうな会社なので、何か仕事になると思います」とのことで、とりあえずご挨拶に伺った。 ベンチャー企業の社長ってことで、イケ…

7年間の共同経営 45(A姐さん)

*前回からのつづき クリスマスパーティのあと、Yから連絡があった。 「A姐さんと大丈夫でしたか?いい方だけど、ちょっと浮世離れした強烈な方なので、心配してました」と。 「全然そんなことなくて、すっごく良くしてもらったし、楽しかったよ」と伝えると…

7年間の共同経営 44(A姐さんとの出会い)

*前回からのつづきその年の年末、後輩Yから「麦とオレンジさんの会社の近くで、うちの会社主催の異業種交流会のクリスマスパーティをやるのですが、来ていただけませんか?」と連絡があった。 基本的に異業種交流会はあまり好きではないのけど…。Yのお誘いだ…

7年間の共同経営 43(後輩のY)

*前回からのつづき 自分の心の中では、9月13日に向けて進んでいたけど、もちろん対外的には4人で頑張っている会社だった。 前職の後輩達が来ると、みんなで食事やカラオケに行ったりしてたから、本当に4人で仲良くやっていると思われていた。 あるとき後輩の…

7年間の共同経営 42(会社を辞める準備)

*前回からのつづき 辞めることを決めたとはいえ、仕事のことを考えると、今日の明日でできることではない。 ただし、期限を決めなければダラダラといってしまう。 H部長のプロジェクトは2年契約で受けていて、それが終了するのは翌年の夏。そして決算も夏に…

7年間の共同経営 41(F先生との出会い)

*前回からのつづき 福岡出張の後、ずっと休んでなかったので少し休みをもらって実家へ帰った。 実家に帰ると、父と晩酌し、父が寝た後は母と夜中までのトークタイムがお決まりだった。 会社であったことを母に色々と話していたら、「明日、連れて行きたいと…

7年間の共同経営 40(女王様とKくんのバトル)

*前回からのつづき 色んなことはありながらも、プロジェクトは進んでいく。全国展開の仕事だから、出張も多くなってきた。仙台に行った翌日に高松、その後、福岡って感じで体は疲れたけど、ジャイアンや女王様に会わなくていい分、気持ちは楽だった。そんな…

7年間の共同経営 39(H部長とジャイアンの悪巧み)

*前回からのつづき プロジェクトは着々と進んでいた。1ヶ月ごとに、うちの会社とS社それぞれが進捗状況を報告している。 H部長は、ジャイアンには詳細のデータを見せて簡単に報告資料作成ができるようにしていた。ところがS社のHくんには最低限のデータしか…

7年間の共同経営 38(S社との仕事)

*前回からのつづき この一大プロジェクトに関して関西から西は別の会社(S社)が担当していたのだけど、全国展開をしていく仕事のため、両社で共有しなければいけないことも多かった。 S社の担当Oくんは、いい人なんだけど仕事の段取りが悪く、自分で判断が…

7年間の共同経営 37(H部長との仕事)

*前回からのつづき 朝、会議室に入り挨拶した際に「昨日は、すみませんでした。」と謝った。心の中では、「ビールをかけたことだけね!」と思ってたけど。しかし、1対1では目を見て話せない小心者のH部長は、うなずいただけで何も言わなかった。 淡々と面接…

7年間の共同経営 36(伝説のビールかけ事件)

*前回からのつづき 2次会の最初、いかにSさんが能力が高くて素晴らしいか。という事をH部長は言っていて、私たちもおとなしく聞いていた。ところが、途中から雲行くが怪しくなってきた。「Oさん、あなたは元大手外資ブランドで仕事してたっていうけど、うち…

7年間の共同経営 35(ジャイアンの大型受注)

*前回からのつづき ジャイアンが前職時代に、仲が良かったお客さんであるHさんが有名ブランドに部長として転職したとの連絡があった。社内で大プロジェクトがあり、その仕事を任せたいという、とてもいい話しだった。今まで、あまり仕事で結果を出せていなか…

7年間の共同経営 34(さようなら、赤錆防止装置)

*前回からのつづき 年始は毎年、私の地元にて設備会社の担当者Yさんと一緒に赤錆防止装置を設置したお客様のフォローや、新規の営業をしていた。この手の商品は日進月歩でどんどん新商品が出てくるし、値段交渉もえぐいのだけど、Yさんが「一度、そういうス…

7年間の共同経営 33(仕事復帰)

*前回からのつづき 退院後、もちろんすぐに出社した。 伯母からは「少し家でゆっくりしたら?」と言われたが、3週間も休んでたから、そんなわけにもいかなかった。 会社に行くと、地蔵男子くん&ジャイアン弟のKくんがいて、「しばらく自宅でゆっくりすれば…

7年間の共同経営 32(入院生活2)

*前回からのつづき 入院したことは、お客様にも言ってなかった。1週間経った頃には、車椅子で動けるようになっていたから、公衆電話から仕事の連絡をしていた。お客様に電話をし、外部のデザイナーさんに発注をし、校正原稿を宅急便で送ってもらい、、、病院…

7年間の共同経営 31(入院生活)

*前回からのつづき 入院して3日くらいは、寝てても痛くて周りの状況もわかっていなかった。少し痛みが落ち着いてきて病室内を見ると、ここは6人部屋で、私以外はみんなおばーちゃん。お隣のベッドは、上品なおばーちゃん。明治生まれの90歳。「痛いのは治っ…

7年間の共同経営 30(入院)

*前回からのつづき カナダから戻りしばらくの間ジャイアンは、私が休みの間、どれだけ大変だったかというような感じの嫌味を言ってた。 心の中では「あんたと違って、そんだけ私はいつも仕事してるんだよ!」と思ってたけど、その頃にはスルーできるようにな…