運と感性とひらめきでやってきた。

なんとなく20年、女社長の振返り日記。1999年に会社設立して、いま思うこと。

社員と一緒の激動期 43

人が増えて大変だったこと


Kの仕事のやり方。


デザイナーさんに、
「私が早いわけではなくて、Kさんのやり方に問題ありますよ」と言われて、
すごく納得いく部分もあったけど、それは私のせいでもあった。


最初だけは、知り合いのデザイナーさんにお願いして
レクチャーしてもらったりしたけど、
何とか業務をできるレベルになってからは、ほぼKは独学だった。


私も制作のことはよくわからないので
Kに任せてしまっていたので、それも良くなかった。

昔から知っているデザイナーさんは、仕事を効率良くこなすために
自分なりに「フォーマット」を作ったり、
同じ作業が繰り返し発生するものは「基本」を作成し、
それをフォーマットに入れて、複数作成できるようにしていた。
(この説明があってるかは???だけど)


Kの場合は、1つ1つを全て作成していたので、
時間もかかるし、ミスが多く出てしまったようだった。


そこでKが退院してきてから、
再度デザイナーさんに来てもらって、
フォーマットの作り方や数式等を教えてもらった。


しかし、、、Kには、そのやり方に苦手意識があり、
なかなかうまくできず、結局自分のやり方でやってしまう。
仕事量が少ない時はいいのだけど、
少しでも仕事量が増えると煩雑になり、ミスも増えていった。


体のことが気になりながらも、ミスを見逃すわけにもいかず、
ミスが出るたびに、Kに注意して、
Kのミスを私とSでケアするという日々が続いた。


あまりにもミスが続いた時に、少し強めに注意すると
「僕はミスなく100%の仕事をすることはできません」と宣言されてしまった。


私が入院した時、Sを戻してくれる時には
あんなに頼りになったKが人が変わったようになってしまった。


今考えると、燃え尽き症候群のようになってたのかもしれない。
本来の自分の力以上にフルスロットルで頑張ってしまい、
体調を崩し、心身ともに疲れ切ってたのだと思う。


でも、その時はKが仕事をすればするほど、
私とSの負担が増えていき、私とSも疲弊していったし、
Kも頭ではわかっていてもできない自分を責めていた。


やっと3人で仕事をできるようになったのに、
お互いがつらい状況になってしまった。


そんな時に、Kからお話があるので時間を下さいと言われた。
「嫁の実家の近くに腰の治療の名医がいて、
そこに入院しようと思ってます。骨に直接アプローチするような治療法で、
早くて3ヶ月、半年〜1年かかる人もいるので、退職させて下さい」
とのことだった。


今までずっと私を支えてくれて、
Sも呼び戻してくれて、一番の功労者であるK。
本来なら、引き止めて入院期間は休職扱いで、
戻ってこれる体制を作るべきと思ったものの…。


3人の会社で1人が休職するというのは、
経済的にも厳しいという理由はあったけど、
その時のKは、腰よりもメンタルが弱ってしまっていて、
「休職して会社に迷惑をかける」ということが
余計にKを追い詰めることになると思った。


会社を始めて一番つらい決断だったけど、Kの退職を承知することにし、
「いつか、また一緒に仕事をしよう」と言って送りだした。


あれから10年、Kは3児の父になり
今年の年賀状で家を建てました!と報告があった。
いい父親になってるようで、すごく嬉しかった。


社員と一緒の激動期、採用した6名は全て退職した。
(Sは戻ってきたけど!)


会社を作った当初は、10年後には30名くらいの会社にしたいな〜
などと思ってたけど、大違いだ。


「好きな人と好きな仕事がしたい」と思い会社を作ったけど、
好きな人=社員だけというわけではないことに気づいた。


今は、外部の好きな人たちと仕事をしていて、
自分にない考えや新しい刺激をもらっている。


まあ、ちょっと言い訳で、そういう人がたくさん社内にいれば
もっといいのかもしれないけど!(笑)


【今日のわんこ】

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