運と感性とひらめきでやってきた。

なんとなく20年、女社長の振返り日記。1999年に会社設立して、いま思うこと。

社員と一緒の激動期 41

人が増えて大変だったこと


とにかく救急車を呼ぼうと思ったのだけど、
Kは「大丈夫なので、やめて下さい」と頑なに拒否する。


赤ちゃんが生まれたばかりで、奥さんの体調も良くないので、
心配かけたくないということだ。


でも、痛みがかなりひどいようだったので、
私の鍼の先生が往診してくれるのを思い出し、来てもらうことにした。


応急処置をしてもらって何とか立てるようになった。
鍼の先生が、帰り道だからということで
Kを車で送って帰ってくれて、少しホッとしていたが、


翌日の日曜日、Kの奥さんから「Kが入院しました」と電話があった。


早速、Sと一緒に病院に行った。
病室に入ると、青白い顔をしたKがベッドに寝ていた。


私たちが行くと、いつものように笑顔になってくれたが、
まだまだ痛みが強いようで、その辛さが伝わってくる。


病室について、Kから出た言葉は
「来週入稿予定の原稿がまだできてなくて、すみません。
立てるようになったら、すぐに会社行きます。」だった。


どこまで律儀なんだと、、、
「さんざん、私の入院でもKに負担をかけたし、
今度はこっちで何とかするから。
気にしないで、焦らずゆっくり治しなさい。
絶対、無理やり退院とかしないでね!」と言って病院を出た。


そうは言っても、Kがいない間の段取りをしなくてはいけない。
とりあえず会社に行き、
Kのかわりをお願いできるデザイナーさんへ事情を説明し、
対応してもらえるようになった。


その時、Sも一緒にいたのだけど、
私がデザイナーさんへ交渉している間に、
打ち合わせに必要なデータを出してくれたり、
1年半のブランクがあったとは思えないくらいに、テキパキとやってくれた。


私一人だったら、どうなることかと思ったけど、
Sのおかげでスムーズに進んでいった。


翌日の月曜から、Sは正式に戻ってきた。
この日を一番楽しみにしていたKがいないのは、残念だったけど、、、


またまたSと一緒に仕事をすることになった。


【今日のわんこ】

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