運と感性とひらめきでやってきた。

なんとなく20年、女社長の振返り日記。1999年に会社設立して、いま思うこと。

社員と一緒の激動期 39

人が増えて大変だったこと


K美ちゃんのデータを引き取り、
Kが作業をしようとすると、どうしてもうまくいかない。


どうやら、使ってるソフトのバージョンが違っているのが
原因のようだった。


新しいソフトを買えばいいということではなく、
K美ちゃんに電話で指示をしてもらい何とかやってみるものの、
なかなか、うまくいかない。


結局、KがK美ちゃんの病院に通い、
面会時間中に作業することになった。


そうこうしているうちに、私も入院する日になってしまった。
実はその時、Kの奥さんも切迫流産しそうになり入院していた。
Kは、3つの病院を行ったりきたりしながら、
仕事も家事もこなしていたのだ。

そんなKを残して入院するのは申し訳なかったし、
入院期間を短くできないか主治医の先生に聞いてみた。


「手術の翌日から歩いてもらうし、
2日後には仕事に行った人もいるくらいだから、
退院はさせられないけど外出届けだして、
仕事に行ってもいいですよ」と言われた。


短絡的な私は「手術の翌日から歩けるんだったら、
タクシーでクライアントまで行けば、
色校戻し、私でもできるじゃん」と思ってしまった。


早速、印刷屋さんへ
色校を病院に届けてもらう手配をしてしまった。


それをKに言うと、
「何言ってるんですか、全部僕がやります。
手術後にそんな危険なことやめてください。僕を信用して下さい。」
と、今まで見たことのないような真剣な顔で言われ、
Kに全部やってもらうことにした。


実際の手術後、Kの言う通りにして本当によかったと、
心の底から思った。

内心、そんなに心配しなくてもいいのに!と思ってたけど、
手術後は歩くどころか立つこともできず…。


主治医の先生の言ってた、
2日後に仕事に行った人はスーパーマンで、
私は凡人でしかなかったと痛感した。。。


そして、私の入院期間中、Kは何とか乗り切ってくれた。
さらにその期間にSとも話しをしていて、
私の退院後、トントン拍子に話しが進み、
Sが戻ってくることも決まった。


これでまた、3人でやっていけると思ってた時、
今度はKが持病の腰痛が悪化し、動けなくなってしまったのだった。


【今日のわんこ】

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