運と感性とひらめきでやってきた。

なんとなく20年、女社長の振返り日記。1999年に会社設立して、いま思うこと。

7年間の共同経営 27(両親とのカナダ旅行)

*前々回からのつづき
 
私の仕事は、相変わらず順調だった。

地元の赤錆防止装置の案件は、
無料トライアルで設置をしていた案件で良い結果が出て、正式受注となった。
系列マンションにも設置が決まり、かなりの大型受注となる。

設備会社の担当者Yさんもすごく協力的で、
「営業先をまとめておくから、ある程度の件数になったらこっちに来てよ」
と言ってくれてたから、3ヶ月に1度の頻度で地元に行って効率よく営業をしていた。

地元に帰れるからもちろん嬉しかったけど、仕事はちゃんとしていた。
ただ、ジャイアンはあまりよく思ってなかったようで、
地元に帰る交通費のことなど女王様にチクチク言ってたようだった。

ジャイアンにしてみたら
「(地元へ行ってる期間)全部、仕事じゃないだろ」
という感じだと思うが、、、自分のことを棚に上げてよく言えるな~と。

ただ、女王様としては私の売上がないと会社も困るし、
経費に関してはあまり言ってこなかった。
でも「私がジャイアンを抑えてあげてるんだから、感謝してね」
みたいな感じは出してきたけど…。

もちろん広告の仕事も順調で。
大手外資系ブランド、S部長が手掛ける新事業の広告&関連会社の社内報の仕事で、
私はかなり忙しくなっていた。
その頃には私の売上が、会社全体の売上の8割を超えるようになっていた。

とはいえ「みんなの会社」なので、給料は同じ。
朝から忙しくしてるのは私だけで、午後からゆったりやってきては
偉そうにしてるジャイアンや女王様に、少しづつストレスがたまっていった。

そんな時、母から
「パパが勤続40周年で会社から金一封が出るから、
叔母さんの20回忌のお墓参りをかねて、カナダへ行きたい。
お仕事休めたら一緒に行って欲しいんだけど」と電話があった。

母の叔母家族はカナダに移民していて、
戦後のモノがない時に、カナダから荷物を送ってくれていたようだった。
荷物に入っているハーシーズのココアやチョコレート、
チューイングガムは母たちにとって、すごく楽しみで嬉しかったそうだ。

ずっと日本に帰りたいと言っていた叔母さんだけど、
病気になってしまい、日本に帰れないまま亡くなった。
祖父もそのことはすごく悔やんでいたようで、
母はいつかお墓参りに行きたいと思っていたみたい。

あまり私にお願いなんてしない母なので、
何とかして一緒に行ってあげたいと思った。

設立当初なら、仕事を休んでカナダに行くなんて考えもしなかったけど、
色々なことに疲れてる時だったし、
「両親と一緒に、カナダへお墓参りに行きたい」と言ってみた。

まずは地蔵男子くんが「麦とオレンジ(私)はイベントや取材で、
ずっと休日出勤してるし、親孝行になるからいいんじゃない?」と言ってくれた。
女王様とジャイアンも、思いの外すんなり認めてくれた。

私がいない期間の広告の仕事は前倒しで原稿を制作し、
なるべく手間をかけないようにしていた。

ただし、入稿等の作業は任せなければいけないので、
入稿スケジュールを作って渡しておいた。
そんなこんなで、旅行前の1週間は本当に忙しかったが、
何とか乗り切ってカナダへ向かった。

しかし、ジャイアンはすんなり認めていたわけではなかった。
旅行中、ジャイアンのいじわるが続くのだった。


つづく


【今日のわんこ】

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