運と感性とひらめきでやってきた。

なんとなく20年、女社長の振返り日記。1999年に会社設立して、いま思うこと。

7年間の共同経営 11(地元での営業開始)

*前回からのつづき

早速、リフォーム会社社長の自宅お風呂の塗装工事に伺った。


とても感じの良い奥様で、
「若いのに頑張っているわね。
お風呂の掃除も楽になりそうだから、とても楽しみだわ」
と喜んでくださっていて、
カビ生えないでくれ~!と神様に祈るしかなかった。

また、紹介された「配管の赤錆防止装置」の会社にも伺い、
詳しい商品説明を受けた。
塗料と違い、日本の省庁官舎にも実績がある。
設置すればメンテナンスも必要ないそうだし、
リフォーム会社社長のお薦めなので、代理店契約をすることにした。

もう、「売れるものは何でも売る!」って気分になっていた。

週1回の泊まりミーティングは続いていたので、
営業方法をみんなで話しあう。

配管の赤錆防止装置なら、
いま営業している食品工場やマンションの管理組合も
ひきつづき営業先になるから積極的にやっていこうとなった。

しかし私は、最初の商材だった塗料の営業で、
『実績』さらに『公的機関での実績』が必要だということを痛感していた。

そして公的機関で導入してもらうためには、
『強いパイプを持つ人からの紹介』による影響が大きい。
ここが前職の広告営業と大きく違うところで、
土木・建築関連分野にはとても重要なポイントだった。

東京では、そんなコネは”全くない”。
でも私の場合、地元なら役所等に何らかのコネがありそうだから、
「地元で営業させて欲しい」とみんなに言ってみた。

地元で仕事をしたいのには、もう1つ理由があった。

起業した年の年末年始、私は実家へ帰らなかった。
実家には1~2日の休みでは帰れないから、長めの休みを取る必要がある。
しかしその年は、
お正月休みをとるのも”もったいない”という会社の雰囲気だった。

それに私以外のみんなは東京出身で
長期休暇をとって実家に帰る必要がないため、何となく言いづらかった。

お金もなかったし、両親には仕事が忙しくて帰れないと伝えたら、
「祖父がとても寂しがっている」と言われて、
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

小さい頃、年末年始はほとんど祖父と過ごしていて、
おせち料理のお手伝いをしながら、一緒に紅白を見るのが楽しみだったし、
大人になってからもお正月は必ず祖父に会いに行っていた。

変な意地を張って帰らなかったのを後悔したのは、その3ヶ月後。
祖父が、他界してしまった。

高齢で、お医者様からも大往生と言われたけれど、後悔しかなかった。
自分にとって、大事な人との時間を大切にすべきだと思ったし、
何も言わずに応援してくれてるけれど、心配している両親のためにも、
地元で仕事をしたいと思った。

この、もう1つの理由についてはみんなには言わなかった。
そして無事に、地元で営業することを了解してもらう。


つづく


【今日のわんこ】

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